坂下門 弁護士 宮岡孝之
二重橋を過ぎて、北に向かうと西の丸の坂の下にあったことから、坂下門と呼ばれている門が見えます。
この門は明治に高麗門を取り払い渡櫓門の向きを90度変えて、正面に向けています。
井伊大老の死後、安藤信正が老中に就任します。
安藤は公武合体を主張。
長井雅楽(開国主義者)の航海遠略策に賛同しました(開明的な人で寺社奉行時代に死刑廃止論を主張)。
1862(文久2)年1月15日午前8時頃、公武合体に反対した水戸藩士6名が登城のために藩邸から坂下門に向かう行列を襲撃します。
安藤側に死者は出ませんでしたが、安藤は背中に刀傷を受けた(敵に背中を見せて逃げたと取られたようです)ことで、老中を罷免され、蟄居謹慎を命じられます。
安藤邸と坂下門との距離は、100m。
こんな短距離も護衛できない程、治安は悪化していました。
弁護士 宮岡 孝之