桜田門外の変 弁護士 宮岡孝之
安政7年(1860年)3月3日未明から吹雪となり積雪。
諸大名江戸城総登城の日です。
井伊直弼は、上屋敷から桜田門に向かいます。
彦根藩の60名あまりの警護の者は、雨合羽に、刀には柄袋を付けて駕籠を守っていました。
関鉄之介をリーダーとする水戸藩士17名と薩摩藩脱藩浪士有村次左衛門の総勢18名は、
早朝愛宕山の愛宕神社に集結し、午前8時頃桜田門外に到着。
午前9時、駕籠を襲撃し、井伊直弼はその場で絶命。
では、どうして積雪の中、18名が待ち伏せしていることに彦根藩士は気付かなかったのでしょうか。
総登城の大名を見物する人々に混じって道の両側で待機していたためということです。
弁護士 宮岡 孝之