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2024年06月

ちょっと寄り道  弁護士 宮岡孝之

ちょっと寄り道  弁護士 宮岡孝之

江戸城は藤堂高虎の縄張りと書きました。

高虎は宇和島城(現存12天守)、大洲城、今治城を築城します。

その意味では、私の出身の愛媛県と深い関係があります。

また、高虎は松山城を築城した加藤喜明と唐島海戦の一番乗りをめぐって対立しており、仲が悪かったとされています。

 

ところで、会津藩主蒲生家が改易されて松山藩主になる時に、

高虎が秀忠に嘉明を会津藩主に推挙したと言われています。

嘉明は会津藩で白川街道の整備等を行いますが、寛永81631)年に死亡します。

 

第2代藩主明成は江戸城普請、会津城の改修等を行ったため、

藩財政を圧迫し厳しい年貢取立の結果、農民が土地を捨てるなどの騒動を起こします。

その結果、明成は寛永201643)年に幕府に会津藩を返上しました。

幕府は明成の嫡子に岩見慶永藩を与え大名として残します。

 

その後に会津藩主となったのが、家光の兄弟である保科正之です。

保科正之が会津藩主にならなければ、その後の会津藩の歴史は変わっていたのではと思います。

 

弁護士 宮岡 孝之