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雑記帳

専修大学の入学式は、毎年4月5日に武道館で開催されます。

【旭山動物園 H18.5.2撮影】
【旭山動物園 H18.5.2撮影】

 専修大学の入学式は、毎年4月5日に武道館で開催されます。卒業式とは違い学生の緊張感が檀上でも感じられます。また、当日は学生5000名の他に3000名を超える父兄の方々が式に参加されます。このことは、大学に対して父母の方が大きな期待を抱いている証でもあると感じています。

 ところで、私は一昨年から入学生と父兄に対して資格試験ガイダンスで「専修大学の実力−自己呪縛をどう解き放つか−」というテーマで話をしています。 今回は、その話の一端をご紹介しようと思います。

 司会者は、私を専修大学理事、法科大学院教授、弁護士という肩書き付で紹介します。

 そこで、私は、私がどの立場で皆さんに話をするかということは、この話を最後まで聞いて貰えれば分かりますという前置きをします。

 そして、大学進学の目的は、「問題発見能力・分析能力・解決能力を身につけること」といわれています。ところで、4年間を過ごすことが目的ではなく、次のステップを目指すことも大学に進学した目的であるといえます。そこで、この目的のために、学術的な探求をすることや、資格を取得することが考えられます。資格について、ある人は「資格とかけて、足の裏についた米粒と解く。」、「その心は、気にはなるが、とっても食べられない。」と言っています。しかし、この人が言う資格は人生の目的となっていない、何となく取得している資格のことだと思います。資格が職業と結びついたり、公務員試験に合格しなければ公務員になれないということになれば、資格を取得した者は、同一化の社会で活躍することになり、どこの大学を出たかは余り意味のないことになります。ですから、資格について足の裏についた米粒という評価は出来ないことは明らかです。

 大学の序列イメージとして、日東駒専という言葉がありますが、これは十数年前旺文社の入試担当者が考えた大学のランク付けだそうです。どうして、専修大学が最後になったのか、語感からそうなったのか、それとも尻取りで「ん」と付くからかは分かりませんが。では、実際にこの並びは正しいでしょうか。昨年の司法試験択一合格者と受験生の割合を並びて比較してみましょう。例えば、合格率が偏差値と同じ並びであれば、大学は入学した学生をそのまま卒業させたことになります。ここで何らかの差が生じるとすれば、大学が学生に提供した学習環境によって学生が努力した成果が現れたことになります。

朝日新聞社大学ランキングによる法学部偏差値と合格率との関係(資料:PDFファイル

 

この変化は、専修大学には学べる環境があることを意味しています。

 

 専修大学では、2年連続して4年在学中の司法試験最終合格者を輩出しています。

 では、この司法試験に合格した人は優秀だからでしょうか。

先程、入学式で式辞を述べた日学長は昭和41年4月5日に、そして私は昭和50年4月5日に皆さんと同じ武道館で入学式をむかえました。ただ、日学長は授業料免除の特待生として、私は入学試験の成績が足りず寄付金を支払ってなんとか、入学を許された学生としてです。したがって、その当時の専修大学の偏差値を考えると普通の高校生がなんとか、入学したというのが実情でしょう。4月から生田校舎に通学するために坂道を登るのですが、嫌で嫌で仕方なかったという思いがありました。しかし、通学するうちに割といい大学だと気づき、大学にあった正法会という研究室で司法試験の勉強をはじめました。そして、合格をしたのです。したがって、現時点では私より皆さんの方が優秀であることは明らかです。今から、資格を目指そうと思えば、私より遙かに容易にその目的を達成することができます。私は出来の悪い先輩でもやれば出来るということを示すために、今ここで話をしています。

 今日、この話を聞いて自分で目指す何かを見つけてチャレンジしようと決めたあなたに、もう一度心から入学おめでとうございます。

弁護士 宮岡 孝之